知恵はシェアしてこそ自他の苦しみを取り除く

知恵・知識がシェアされれば、シェアされた人は、言わずもがな、何かを得ます。例えば、その知恵・知識が何か課題を解決するヒントになったり気付きを促したりして、そこには喜びが生じます。一方で知恵・知識をシェアした人には何が生じるかというと、そこにも喜びが生じると思います。反対にシェアしないと苦しみが生じることもあると思っています。



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知恵・知識だけでなくても、何か面白い話とか、何かチャンスの話を知っているとき、それを他人にシェアしようか?と思ったのであれば、シェアするのが良いと思っています。理由は2つあると思います。

1つは「シェアする人はシェアされる」という大昔から言われる原理原則です。与えるものは与えられるという因果。誰かに何か良いものを与える者は、他の誰かから別の良いものを与えられる(逆に言えば、悪いものを与えれば別の悪いものを与えられる)。

もちろん、そこで重要なのは「そのときの心持ち」であることは「おむすびころりん」の教えてくれているところではありますが。

もう1つは、独り占めすると結局は自分が苦しくなるからです。シェアしようと思えばできるのに、それをもったいないと思ってシェアしないでいると、その持っているモノを自分だけのモノにしようという執着・欲が強くなってしまい、そうすると終局的には、その執着・欲によって自分が苦しくなってしまう。

もちろんシェアすることに親和性の有るもの無いものとがありますが、知恵・知識はシェアするに値し、シェアすることに親和性の有ることだと思います。

特許の世界でも同じことが言えると思います。発明の内容などはシェアすることと親和性はないのかもしれませんが(場合によってはあります…)、発明を創出するための知恵、法律を上手く使うための知恵などはシェアすることと親和性があると思います。そもそも、その知恵・知識は自分のものでも何でもないのですから。

ところで、知恵・知識のシェアの「もったいない」「相対的に損する」とは少し違うけれどもネガティブということで共通しているのが、組織をオープンにしたときの「外側の風土が混じってしまう」という思いだと思います。

組織をオープンにすると外側のものと内側のものとが入り交じります。そうすると、良い科学反応も起きるけれども、悪い科学反応も起きるのが常だと思います。それを受けて、「オープン」による弊害を「オープン」のせいにして閉じようとする立場に立つと、自分たちだけ良くなればいいという発想になって、少し窮屈で苦しくなるのではないかと思っています。

そうではなくて、「オープン」によって全体を良くしていこうと、良くなることを信じようとする側に立てばよいのだと思っています。自分さえ良ければ、という発想は、結局のところ自分自身が苦しくなるからです。



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