ビジネス、読書、技術系ウェブサイト、特許調査…至るところで、ディープラーニングなどのAI技術の話に触れます。ディープラーニングは、AI技術を進歩させた点で人類に多大な恩恵を与えていますが、個人的にも、恩恵を受けています。それは、人間の脳の神経構造に対する興味を沸かせてくれたことと、自分の思考を見直す機会を与えてくれたことです。
TEXT BY SHIGERU KOBAYASHI
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ディープラーニングを簡単に言うと、人間の脳の神経構造を模した多層ニューラルネットワークを用いた機械学習法と定義されています。
ディープラーニングの応用例は様々ありますが、代表例としては、画像などの教師データと正誤ラベルを用いて学習モデルを生成し、当該学習モデルに任意の情報を入力すると正誤判定してくれるというものが挙げられます。例えば、物体Aと物体Bの判別などで、人間が意識的に物体Aと物体Bの特徴をルール付けできなくても、機械が特徴量を見出して、よしなに判別してくれます。
このようなディープラーニングの技術に日々触れていて思うことがありました。それは、
- 自分自身の内側にも、長年かけて生成してきた思考パターンという学習モデル(思考モデル)がある
- 新しい事象に出会ったときに、その事象を教師データとして、好き嫌いなどをラベルとして、日々新しい思考モデルを作り続けている
- そして、日常生活で「思考モデル」を使うことで、無意識のうちに、思考の癖として、自動的に色々なモノゴトをジャッジしている
たとえば、ある事象に対して好感を抱くと、その事象という教師データに対して、「好感」というラベルを対応させて学習します。同じ様なシーンを何日も何年もかけて経験し、経験の分だけ学習が蓄積さえると、その事象に対して好感を抱く学習モデル(固定観念)が生成されます。そうすると、その事象と同じような事象に対しては、特徴が似ているか否かを意識せずとも、思考の癖として、自動的に「好感」を抱く。それは、思考モデルがそうさせているということだと思います。
人間の内なる機械学習によって生成された思考モデル。これに支配されずに、いつも意識して生活できるのがベストだと思いますが、やはり無意識の判断というは存在するもの。無意識の判断と付き合っていくのであれば、その無意識の判断はステキなものの方が良い。そうであるならば、「教師データ」と「ラベル」の選定については、意識して行っていくべきであると思っています。
たとえば、
- 日々触れる情報を意識して選別する
- 出会った情報に対して意識して「ラベル」を付ける
といった具体です。
具体的には、まず、最初の一歩は「見ざる言わざる聞かざる」です。そして、ある事象に対して嫌悪感を抱きそうになっても、嫌悪感というラベルではなく、「これも学びだな」というラベルを付ける。そうすると、生成された思考モデルによって無意識に判断したとしても、少しは「いい感じ」に生活できるのではないかと思っています。
昔、アニメに出てくる有名なロボットを見ていて、
「いくら心と頭で思考するといっても、しょせんプログラムされたものでしょ」
くらいに思っていましたが、ディープラーニングのお陰で、自分自身の思考も機械学習の結果として生成されたプログラムなのではないかと思い直すことができました。それと同時に、教師データとラベルは意識と倫理感をもって選定していかなければならないと思った次第です。ありがとう、トロント!
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