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Q.015 発明の苦労話や、ビジネスで利益を生んでいることは、進歩性の主張に役…

発明の苦労話や、ビジネスで利益を生んでいることは、進歩性の主張に役立たないのでしょうか?悩んだ末に発明をしても、知財専門家から「進歩性がない」と言われます。発明を創出する過程で苦労したとか、どれだけ事業規模が大きいとかは、進歩性の議論では論点にならないということでしょうか。




弁理士からの回答

結論から申し上げますと、創出過程における発明者の苦労話は進歩性の主張に役立ちません。一方、ビジネスで利益を生んでいることは、進歩性を認める理由として参考程度になる場合もありますが、非常に頼りないです。

「発明の創出過程が困難であるかどうか」は主観的なものです。それでは画一的に判断できないので、特許制度は、主観を排した客観的な基準を進歩性に与えています。ですから、発明創出の「苦労話」は役立ちません。

そして、知財専門家は、この客観的な基準(進歩性を否定する基準)に則って判断しており、これらに該当すると、原則、進歩性:なし。

ただし、例外的に、当該基準によって「進歩性:なし」とされても、事業的・技術的に極めて凄い効果があるときには「進歩性:あり」となるケースもあります。ただし、実務的には超・例外であって、特に「事業的な成功」については、その事業的な成功が生まれている原因が、販売技術などではなく、発明の技術的特徴であることを審査官に納得してもらわなければなりません。だから、「事業的な成功」には頼らないほうがいいです。



回答の詳細な説明

結論から申し上げますと、創出過程における発明者の苦労話は進歩性の主張に役立ちません。一方で、ビジネスで利益を生んでいることは、進歩性を認める理由として参考程度になる場合もありますが、それを頼りに「進歩性がある」というには非常に頼りないです。

それぞれについて解説する前に、まず、進歩性は、その字面から

発明創出が困難であるか否かの基準

と理解できます。このように一見簡単に理解できてしまうことが、進歩性の理解を難しくしている原因とも言えます。「困難であるか否かの基準」を受けて、「発明の創出過程で苦労したから進歩性があるのでは?」という誤解が生じてしまいます。

しかし、「発明の創出過程が困難であるかどうか」は個人によって違う主観的なものです。それでは画一的に判断できないので、特許制度は、主観を排した客観的な判断基準を、進歩性に与えています。だからこそ、ご質問の「(個人的な)苦労話」は進歩性の主張に役立たないことになっています。

ところで、特許制度は、進歩性の有無を判断するにあたって、「どのような発明であれば、創出が困難であるか」ではなく、

「どのような発明であれば創出が困難ではないか」

という基準で計り、それに該当しなければ「進歩性:あり」ということになります。「特許ならば進歩性がある」の論理的対偶として「進歩性がないならば特許にならない」という観点で判断しているのです。

具体的には、下記の3類型が「困難ではない」とされます(説明の簡易化のため、若干抽象的にしています)。

  • 発明が、ある技術に他の技術を適用して完成される場合 
  • 発明が、従来技術の設計事項を変更すれば完成される場合 
  • 発明が、従来からある要素を単に積み重ねて完成される場合

知財専門家(弁理士、審査官も含む)は、この基準に則って進歩性を判断しており、これらに該当すると、原則、進歩性:なしの結論になります。

ここで「原則」といっているように、この類型に該当したとしても、「例外」として、事業的・技術的に極めて凄い効果がある場合には、進歩性:ありとなるケースもあります。

ただし、実務的には超・例外と捉えておいた方が無難です。

特に、ご質問にあるような「事業的な成功」「ビジネスで利益がでている」という観点は極めて難しいです。その事業的な成功が生まれている原因が、販売技術などではなく、発明の技術的特徴であることを審査官に納得してもらわなければならないからです。そして、もし、納得してもらったとしても…

「わかりました。じゃぁ、参考にしますね」

という程度です。だから、進歩性の主張においては、「事業的な成功」や「ビジネス上の利益」には頼らないほうがいいです。